有料情報、無料情報
現在、新聞は『読売新聞』と『日本経済新聞』の二紙を購読しているのだけれど、古新聞の処分に困る。
町内の子供会で2ヶ月に1回、アルミ缶と一緒に古新聞を回収してくれるので、ため込んでいるけれど、回収日に門の前に運ぶのも量が多くて大変で...
それで少しでも減らそうと、最近は台所の流しの三角コーナーに1/2のサイズに切った新聞を敷いて使ってます。ちょっと溜まったら、くるんでレジ袋などにポイ。百均で買える不織布の水切りも使うけれど、ついつい汁物をこの中に流してしまい、濡らしてしまいがちになって三角コーナーが黴びるので、最近はもっぱら新聞を利用。
いずれにしても二紙は多いので、日経は契約切れ時点でやめようと思ってるけど、考えてみると、個人的には、以前ほど新聞を読まなくなっているような気がする。読まないというのは、読むべき記事が少ないという感じ。
「これ2日くらい前に読んだな」と思う記事が頻繁にあって、速報的な記事ならインターネットのニュースヘッドラインで見かけて既に読んだ記事が多く、また、(読売新聞に関しては、)夕刊が子供向けの記事やファッションや芸能人なんかの雑誌的な要素が多くて、ちらりと見ては読み飛ばしてしまうことも多い。
そこで気になって『新聞 発行部数 推移』という検索語でGoogle先生に聞いてみたところ、こんな表が見つかった。(オリジナルサイト)
発行部数は朝夕刊セットを1部として計算。
セット紙を朝・夕刊別に数えた場合は、65,079,993部(2009年10月現在)。
各年10月、新聞協会経営業務部調べ。
世帯数は各年3月31日現在の住民基本台帳による。
やっぱり、世帯あたりの発行部数は減っているんですねえ。
でも、新聞の良いところは、気軽に持ち歩けるという利点以外に、“受動的に”情報を得られるということがある。ネットだと、基本的には自分の知りたい情報を“能動的に”探すことが多いし、ニュースヘッドラインだと目立つ記事しか目にとまらなかったりするし。
例えば、ある事件の背景などを追跡した記事などは、新聞の方がじっくり読めるし、書評欄で面白そうな本を見つけたり、歳時記とか著名人のエッセイとか、予期しない読み物に出会えるのも新聞の利点かと思う。
発行部数の低下を補うためにネットでの有料化に乗り出す新聞や雑誌もあるけれど、どうなんだろう...
日経なんかは、新聞でも大々的に宣伝をしているけれど、対価に見合う利用価値があるのかどうか。
多分、過去の記事や情報をデータベース化してあり、情報量は多いのだろうけど、それをたやすく見つけられるか、目に触れるかというのは、相当の工夫が必要かと思う。例えば、強力で精度の高いサーチエンジンを搭載していないと検索してもヒットしなかったり、ノイズ(無駄で邪魔になる情報)が出る恐れがあるし、個人のPC環境によって見え方が異なるので、誰にでも使いやすくて無駄のないレイアウトというのは結構難しそう。それに、「ネットの情報はタダ」と思っている人も多いし。
それと、ネットで記事を読むというのは意外とストレスが多くて疲れるもの。これは、単純に画面が見にくいというだけでなく、フォントとか行間の関係で見にくいものがあるせいだと思う。サイトやページによって文字の大きさなどが異なるので、移動しながら見ているとかなり疲れる。
文字の大きさは、たとえばIEだったら、ウィンドウ全体の倍率を上げたり、文字の大きさを変えたりできるけど、それでは補えないことも多くて、このへんは、長年の活字ノウハウが蓄積された紙の新聞にはかなわないでしょうね。
内容に関しては、ドイツで見かけたのだけれど、週末にちょっと読みでのある雑誌のようなものが付録で付いていて、いいアイディアだと思ったことがある。
日本の新聞には園芸やら料理やらの薄い雑誌のようなものをくれるけど、こんなのではなくて、もう少し硬派なものがあればと思う。例えば、過去の連載をまとめたものとか、今の時期なら戦争の特集とか、大河ドラマで扱ってる幕末の歴史とか。サッカーワールドカップとか今開催中の甲子園大会とかが終了したらその特集とか。
イメージは、ムック(mook)という、magazineとbookの中間の出版物があるけれど、あんなもの。紙ならではの新聞の良さを生かして欲しいものです。
ブログ主の覚え書きとして、今日、新聞で見つけた気になる本:
「海ゆかば」は軍歌か。いや、日本放送協会の作った、昭和12年の国民精神総動員運動宣伝歌だ。
「勝ってくるぞと勇ましく」で始まる「露営の歌」はどうか。「前線と言わず、銃後と言わず軍民ともに唱和すべき」歌として、東京日日新聞社と大阪毎日新聞社が、やはり昭和12年に作った歌だ。
軍歌とは狭義では軍の作る軍のための歌。「海ゆかば」や「露営の歌」とは違う。
では何と呼ぶべきか。著者は国民歌という。国民の一体感や運命共同体的悲壮感を高めるために、放送局やレコード会社が歌を量産する。政府や軍に特に指導されずとも自主的に作り、老若男女に唱和させようとする。
そういう時代を、あたかも軍部が主導したかのような軍歌の時代と呼んでは歴史を見誤る。(後略)〔評:片山杜秀〕
驚いた。戦時下で中止だったはずの昭和17年に甲子園で野球大会が開催されていた!
著者は埋もれた事実の発掘を通して幻の大会を再現する。(中略)
国(文部省)の主催だから目的ははっきりしている。選手ならぬ「戦士」が「突撃精神」で戦う。選手交代は禁止。国は戦意高揚のために甲子園大会を利用した。(後略)〔評:井上寿一〕
この本は、見損なってしまった同名の番組『幻の甲子園』(NHK)の原案らしい。
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